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宣和集古印史
size: 27.4×17.8cm
一套8冊
宣和集古印史
明代萬曆二十四年(1596)に来行学(生卒年不詳)に模刻されたもの、原鈐の印影、一帙八冊。
作品紹介:横27.4cm、縦17.8cm。巻首に屠隆(字緯真、1544-1605)の序及び来行学の自序があり、そのあとの《刻宣和集古印史官印例》に「萬曆丙申長至日(1596年冬至日)西陵来行学顔叔識」とある。巻ごとに「西陵来行学顔叔校摹」とあり、その下に「陸鑨印」の収蔵印がある。本文には一頁に二から三顆の印が収められ、その下に釈文・鈕制及び考証が付されている。所収される秦漢から隋唐までの官印一千五百余方顆はみな来行学の模刻、原鈐の印影で、最後鈕制・虎符・「印則」十二章が付されている。宝印斎の藏板で徐安による鈐印刊本である。
鑑蔵印:明善堂覧書画印記・安楽堂蔵書記・陸鑨印。
「明善堂覧書画印記」・「安楽堂蔵書記」は康熙帝第十三子怡親王胤祥(1686-1730)の蔵書印で、この印譜は清代怡親王の旧蔵とわかる。胤祥は、雍正朝で総理軍機大臣を務め、和碩怡親王に昇格された。水利を興し、ジュンガル反乱を平定することに業績を残した。
陸鑨は、明代末期の篆刻家、生卒年不詳、字は元美、号は鉄夫、斎号は片玉堂。雲間(現在上海松江)の人、潘雲傑と共同で『秦漢印範』六巻を編集した。また自らの摹刻印を集め、印譜『片玉堂集古印章』を編集した。
この印譜は「顧氏旧蔵印譜」として、民国年間江藤濤雄の「長安荘」によって日本にもたらされた。販売目録では売値は「一千圓」で、「顧氏旧蔵印譜」ではもっとも高い印譜であった。「顧氏」はおそらく蘇州過雲楼の顧氏家族のことであろう。過雲楼は「江南第一家」と称されており、顧文彬より六代100年余りで数多くの宋元明清期の古刻・石碑の拓本及び歴代石碑の拓本・印譜などが多く所蔵されている。
宣和集古印史
明代萬曆二十四年(1596)來行學(生卒年不詳)摹刻,原鈐印蛻,一帙八冊。
作品簡介:該譜橫27.4釐米,豎17.8釐米。卷首有屠隆(字緯真,1544-1605)序和來行學自序,後為“萬曆丙申長至日(1596年冬至日)西陵來行學顏叔識”款的《刻宣和集古印史官印例》。每卷卷首有“西陵來行學顏叔校摹”,下鈐“陸鑨印”,正文每頁收錄兩到三印,印下有釋文、鈕制及考證。所收秦漢至隋唐官印一千五百餘方均為來行學摹刻,印蛻原鈐,後附鈕制、虎符、《印則》十二章。寶印齋藏板,徐安鈐印刊本。
鑒藏印:明善堂覽書畫印記、安樂堂藏書記、陸鑨印。
“明善堂覽書畫印記”“安樂堂藏書記”為康熙第十三子怡親王的藏書印,說明該譜曾為清代怡親王胤祥(1686-1730)的舊藏。胤祥在雍正朝擔任總理事務大臣,晉升為和碩怡親王,在治理水患、平定准噶爾叛亂等方面建有功勛。
陸鑨為明末篆刻家,生卒年不詳,字元美,號鐵夫,齋室名片玉堂。雲間(今上海松江)人,曾與潘雲傑合編《秦漢印範》六卷,在萬曆三十五年(1607)輯其摹刻古印,編成《片玉堂集古印章》。
該譜原為“顧氏舊藏印譜”,民國年間經江藤濤雄“長安莊”流入日本,當時的銷售目錄中價格“一千圓”,為這套印譜中價格最昂者。“顧氏”或為蘇州過雲樓顧氏家族。過雲樓享有“江南第一家”美譽,從顧文彬開始,歷經六代一百餘年,收藏宋元明清古刻、碑帖印譜等數量眾多。
JPY: 成行
RMB: 無底價
品相報告:基本無破損
佣金: 19.8%